2018年4月9日月曜日

日本の明日を見渡した丘



桃の里、一宮町にも駆け足で春がやってきました。
今日は山梨の隠れた名所、知る人ぞ知る穴場スポットをご紹介します。
日本に初めて地下鉄を敷いた早川徳次(はやかわ のりつぐ)という人をご存知でしょうか。「地下鉄の父」とも呼ばれる彼は、現在の山梨県笛吹市一宮町の出身です。



明治14年に生まれた早川氏は早稲田大学卒業後、満州鉄道に就職します。視察で訪れたロンドンで地下鉄に衝撃を受け、日本の近代化のために東京に地下鉄を導入しようと奔走します。地質調査やスポンサー探し、国の機関への申請など、長い歳月をかけて地道な努力を重ねました。当時の東京には路面電車や自動車も走っていましたが、人力車や馬車も行き交う時代。地面の下に電車が走ることを誰が想像したでしょう。
数々の困難を乗り越えて昭和2年に上野〜浅草間、次いで浅草〜新橋間を開通させ、15年に東京地下鉄道株式会社の社長を退いてから、故郷に戻ったのだそうです。
生家のあった場所に松下村塾のような学問所「青年道場」を作りたいと考え、まず講師の宿舎を建てました。この国の未来を担うリーダーを育てることが彼の新たな夢になったのでしょう。75年以上前のその建物が、桃源郷を見下ろす一宮町東新居に残っています。











全部ご紹介することはできないのですが、この時代にトイレが水洗だったり、建具や間取りの細かいところに贅を尽くしたり、当時としては画期的でモダンな建物だったとわかります。本当に見ていて飽きない面白さがありました。
早川氏は、この宿舎を建てたあと急逝し「青年道場」は残念ながら実現しませんでした。





この日はイベントで子どもたちがだるま作りに挑戦していました。早川氏のふっくらとしたお顔にちなんで、だるまなんだそうです。思い思いに色を塗って、楽しそうでしたよ。
普段は一般公開されていない施設ですが、10名ほどのグループで予約すれば見学できます。問い合わせは「いちみやスコップの会」まで。
早川氏が信念で貫いた浅草新橋間は、現在も東京メトロ銀座線が走っています。



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