2018年4月14日土曜日

桃源郷の春



今年の春はなんだか慌ただしい。桜の開花も早かったですが、その他の花たちも次々と目まぐるしく咲き乱れ、うっかりすると見頃を逃してしまいそうです。
というわけで、桃畑での作業もにわかに忙しくなってきた模様。先日立ち寄った一宮町の「浅間園」さんでも、受粉作業の真っ最中でした。



長い竿の先にある毛ばたきのような丸いポンポンに花粉をつけては丁寧に受粉させていました。地道な作業ですね。ここで栽培されている主な品種は白鳳と白桃で、そのうち人工授粉が必要なのは白桃。甘い果汁をたっぷり含んだ浅間白桃は山梨の代表的な桃です。
おいしい実を収穫するために桃は間引きを行いますが、蕾を摘み、咲いた花を摘み、小さな実をつけてからまた摘んで、実と実の間隔が良い具合になるようにするのだそうです。私たちが食べているのは、選ばれし一花なのですね。
このときに摘んだ花から人工授粉のための花粉をとります。どうやって花粉だけを集めるのか不思議に思って尋ねたら、こんな秘密兵器を見せてくれました。





上は花から葯(やく)と呼ばれる花粉が詰まった袋だけをふるい分ける機械。下はその袋を開かせて花粉を取る機械だそうです。これだけ手をかけて作られるのだと思ったら、なおさらよく味わって食べたくなりました。
収穫は6月下旬からということです。たくさんの方々においしい山梨の桃を楽しんでいただきたいな。



2018年4月9日月曜日

日本の明日を見渡した丘



桃の里、一宮町にも駆け足で春がやってきました。
今日は山梨の隠れた名所、知る人ぞ知る穴場スポットをご紹介します。
日本に初めて地下鉄を敷いた早川徳次(はやかわ のりつぐ)という人をご存知でしょうか。「地下鉄の父」とも呼ばれる彼は、現在の山梨県笛吹市一宮町の出身です。



明治14年に生まれた早川氏は早稲田大学卒業後、満州鉄道に就職します。視察で訪れたロンドンで地下鉄に衝撃を受け、日本の近代化のために東京に地下鉄を導入しようと奔走します。地質調査やスポンサー探し、国の機関への申請など、長い歳月をかけて地道な努力を重ねました。当時の東京には路面電車や自動車も走っていましたが、人力車や馬車も行き交う時代。地面の下に電車が走ることを誰が想像したでしょう。
数々の困難を乗り越えて昭和2年に上野〜浅草間、次いで浅草〜新橋間を開通させ、15年に東京地下鉄道株式会社の社長を退いてから、故郷に戻ったのだそうです。
生家のあった場所に松下村塾のような学問所「青年道場」を作りたいと考え、まず講師の宿舎を建てました。この国の未来を担うリーダーを育てることが彼の新たな夢になったのでしょう。75年以上前のその建物が、桃源郷を見下ろす一宮町東新居に残っています。











全部ご紹介することはできないのですが、この時代にトイレが水洗だったり、建具や間取りの細かいところに贅を尽くしたり、当時としては画期的でモダンな建物だったとわかります。本当に見ていて飽きない面白さがありました。
早川氏は、この宿舎を建てたあと急逝し「青年道場」は残念ながら実現しませんでした。





この日はイベントで子どもたちがだるま作りに挑戦していました。早川氏のふっくらとしたお顔にちなんで、だるまなんだそうです。思い思いに色を塗って、楽しそうでしたよ。
普段は一般公開されていない施設ですが、10名ほどのグループで予約すれば見学できます。問い合わせは「いちみやスコップの会」まで。
早川氏が信念で貫いた浅草新橋間は、現在も東京メトロ銀座線が走っています。



2018年4月5日木曜日

咲いた、並んだ、春のオブジェ



戸惑ってしまうほど突然に、百花繚乱の春がやってきました。
あちこちから花の便りが一斉に飛び込んでくるものだから、忙しくて仕方ありません。こんな春は珍しい。
例年ならもう少し遅いはずのチューリップもご覧の通り、あっという間に花盛りです。
ここは勝沼の「ハーブ庭園旅日記」さん。園内には約5万球もの球根が植えられていて、咲きそろった景色は圧巻です。まるでメルヘンの世界ですね。









様々な品種のチューリップが目を楽しませてくれるなか、今年の注目はキャンディチューリップ。一つの球根から枝分かれしていくつも花が咲くのです。





これはちょっと驚き。一見の価値ありです。子どもの頃、絵に描いていたチューリップは茎一本に花一輪。その固定概念が変わるかもしれませんよ。この枝咲きチューリップは生育が他の品種より少し遅めのように思えましたので、まだしばらく楽しめそう。ぜひ足を運んでください。
チューリップの見頃は4月下旬まで。